初代林家三平の墓参りに行く
2015-09-23


 9月20日は初代林家三平師の命日、9月21日は古今亭志ん生師の命日と続きます。私のような過去の名人の音源を追い求めるタイプの落語ファンなら、当然に志ん生師の墓参りに行くべきなのでしょうが、同じ墓に眠る志ん朝師の命日が10月1日と日が近いのです。ネットで調べると初代三平師の墓は東武線の竹ノ塚駅付近だとか。連休でお天気も良いしたまには遠出をしようと、墓参りに訪れることにしました。
 初代三平師が死去したのは1980(昭和55)年9月20日。この時のことは良く覚えています。当時ニッポン放送で、ロックバンド「アルフィー」のメンバーである坂崎幸之助が「オールナイトニッポン」という深夜番組をやっており、中学校2年生だった私はクラスの友達と懸命に聴き合っていました。坂崎幸之助は、歌手であるとともに話し達者なことでも有名ですが、なんでも初代林家三平の家に出入りしていて話術を磨いていたとか。ラジオ放送の中で林家しん平師のことがよくネタになったり、「どうもすみませんコーナー」というのがあったりしたことを覚えています。初代三平師が亡くなった時には激しく落胆しており、死の直後の放送では1分間の黙とうをしました。
 さて、師の墓参りに訪れたのは命日の翌日である今月21日。東武スカイツリーラインという「何を考えているんじゃ」という名の路線に乗り竹ノ塚駅で下車。足立区のこの駅付近にはかつて私の叔父叔母いとこが住んでおり、何度も降り立った事のある懐かしい駅です。西口を出て少し歩くと尾久橋通りへ。北へしばらく歩き東武バスの車庫のあるあたりで左折。細い左右にカーブする道を歩いてゆくとY字路のあたりに常福寺があります。駅から大人の男の足で15分強ほどでしょうか。この付近は寺が10軒ほど集まる寺町で、もとは浅草にある寺でしたが、関東大震災で被災した後、計画的に移転してきた寺々だとか。足立区の案内板では「伊興寺町」と紹介されています。
 目指す常福寺のすぐ手前に「東陽寺」という寺があり、ここには落語でもお馴染みの「塩原太助」の墓があります。落語では「塩原多助一代記」ですが、正式な名は「助」だそう。本堂左側より墓地に入ってすぐのところに、台座部分に「鹽原」と大きく記された墓があり、この墓の裏面を見ると、確かに「鹽原太助墓」と刻まれています。

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 さて、ここから常福寺へは目と鼻の先。浄土真宗大谷派の寺です。墓地の広い寺で目指す墓は見つかるだろうかと不安でしたが、本堂左側の渡り廊下の下をくぐり、すぐ右手の場所に「海老名家之墓」はあり、すぐに見つけることができました。墓の水鉢の部分に描かれた紋は「林家」の紋。いかにも落語家一家らしい墓であります。昨日が命日という事で花もキレイに供えられています。墓誌をみると一番右には父である七代目林家正蔵師の名。2人おいて初代林家三平の名がが刻まれています。「志道院釋誠康」。浄土真宗ならではの短い法名で、特に生前噺家だったと思わせる文字も入っていません。

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 常福寺のすぐ近くには「易行院」があります。「助六寺」として有名な寺で、ここが先代三遊亭圓楽師の実家の寺です。師の墓もここにあるのですが、今回は墓の場所だけ確かめ、墓前で手を軽く合わせて、師の命日近くにまた訪ねることにします。はて、ネットで調べると、この寺をとあるサイトでは「エキコウイン」と読み、またとあるサイトでは「イギョウイン」と仮名を振っている。どちらが正しい読みなのでしょう。10月29日の先代圓楽師の命日までには、はっきりした事を調べようと思います。
[落語]

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